2014年奥様の実家がある淡河町に引っ越された鶴巻さん。東京で生まれ。20代のころからまちづくりや地域づくりに興味があり、「まさに本陣の活用もずっとやりたかったことを今しています。」と現在は移住のコーディネートや茅葺屋根の修理、さつまいもの農園など様々な仕事をされています。この日の会場となった本陣跡を舞台に、地域の方の「やってみたい!」をカタチにする活動をご紹介いただきました。
おい!このままじゃまずいぞ。
僕たちは本陣跡の保存会の活動をやっているのですが、それを始める前の2011年冬、僕が入る前ですが「おい、このままじゃ町はまずいぞ!」と立ち上がった地域の有志のメンバーによって、淡河の明日を考える会「淡河ワッショイ」が立ち上がりました。
自治会や消防団とも違う別の集まりをつくり、いろんなことをやっていこう!とスタートし、意見を出し合い、奥さんが子育てしやすい街を目指すというテーマが決まりました。 20-60代の色んな年代の人たちが集まって一緒にやることに僕は魅力を感じています。
まずは町内にある幼稚園や小学校のグランドを芝生に替えるプロジェクトを、助成金を活用し、町のメンバーで一つ形にしました。子どもたちが喜んでくれて、これを実績に活動が広がっていきました。
美味しいお米を決める米-1グランプリを開催し、米のブランド化を目指したり、来訪者に渡す淡河わくわくマップをつくりました。こういうところから町が抱える課題にも取り組み、農村の定住や移住促進、学習塾が遠く通うことが大変なので町の中で学習会をしたり、地域内で高齢者の足となるボランティアタクシーを行ったりしています。
本陣を使わせてもらえませんか?
2015年現在、60年あまり空家だった本陣跡が、ふとしたことをきっかけに、活用できることになりました。財団法人を立ち上げ、改装を行い活用がはじまりました。最初は、法人のメンバーや新聞を見た方と、建物内の整理やお掃除ワークショップなどから始めました。
次第に、ここを利用できると決まる前から、勝手に妄想していたことが実現してきました。
ようやく去年改装が終わりカフェなどがオープン。色んな方々に使ってもらえるようにやっています。「美味しいご飯をだすカフェをしたい!」「お菓子を出したい!」という要望が生まれては形にできています。
まだまだ充分な仕事というところまではいっていないですが、それぞれ自分のしてみたいことにチャレンジする空間や人の繋がりが生まれ始め、手ごたえを感じています。
先週末は、ラーメンを作るのが趣味の三兄弟が「みんなにラーメン食べてもらいたい!」ということで本陣でラーメンを提供の試食会を開催。みんなで食べたんですが、めちゃくちゃ美味しかったんです。
披露する場所がなければ家の中で作って食べて、誰にも発表されず終わっていたと思う。
今後のお祭りなどにも提供できるし、淡河に住んでいる人が「なにかここでやってみたい」と思う場所になれば嬉しいです。
本日はありがとうございました。
文:對中剛大 写真:片岡杏子
鶴巻耕介さん
1984年生。学生時代、子どもの野外活動プログラムに携わるNPO法人で活動。大学卒業後、教育関係の企業や、学生時代に活動したNPO法人で働く。次第に「地域に根ざして生きてみたい」と思うようになり、30歳を迎える時に、現在の神戸市北区淡河町へ移り住む。地域を耕したいという意を込めて「つるまき農園」という屋号で活動中。取り扱い作物は、サツマイモの観光農園、農村定住コーディネーター、茅葺き職人のてったい(手伝い)、地域に残る本陣の維持管理、大学生向けインターンシップのコーディネートなど少量多品種型。地域内外の様々な仕事に触れながら百の知恵と技を持つ現代版百姓を目指している。
皆さんこんにちは!
本日は遠く淡河町までありがとうございます!
ここの本陣跡のメンバーとして活動しています。
本陣と淡河の説明をさせていただきます。
淡河町は現在約2,700人。神山の半分くらいですね。少子高齢化が進んでいます。街の中には駅がなく最寄駅まで車で15分くらいで。小学校は2つ。どちらも1学年5-6名。
僕の息子は小学校1年でクラスは7名。病院は町内に1つです。
ただ里山暮らしを楽しみながらも、高速を使えば三宮にも30分程で出れるので便がよい街だと思っています。淡河町はかつて宿場町として栄え、石峯寺(しゃくぶじ)には室町時代に建てられた薬師堂があります。また八幡神社があり、御弓神事は800年ほど続いていたり、北僧尾農村歌舞伎舞台というのも1700年代に建てられた日本最古の農村歌舞伎舞台といわれています。
どれをとってもめちゃくちゃ歴史がある。茅葺職人の相良育弥さんのチームが農村歌舞伎舞台の屋根を葺き替え、古きものを引き継いでいこうといろんな活動が行われている町です。