事務所は王子公園の高架下に構えています。
ランドスケープデザイナーでミドリカフェの代表ウチダ ケイスケさんとシェアオフィス兼ショールーム兼ショップとして、ミドリと木材の店『HASE65(ハーゼ ロコ)』を運営しています。
私はもともと前職では木材メーカーでサラリーマンをしていました。 仕事で林業関係者と出会う機会が多くあったのですが、林業は衰退産業で、もっとおもしろくするツールはないかと考えていたところ、 間伐材を使って地域の人たちと楽器を作るプロジェクト「カホンプロジェクト」がはじまり、地域の人たちとの繋がりが出来ました。
楽器を製作して演奏会をする中で、なぜいろんな地域から呼ばれるのか?そう思うようになり、結局は山の人、森林に携わる人(木を切る人)と、街の人(消費者)たちとの接点がない、 そんな状況がわかり、山の人と地域の人を繋げることに需要があると深く感じました。 その思いから木材コーディネートという考え方を学び、シェアウッズを立ち上げることになりました。 あと、工房として兵庫県の舟大工さんの工房の跡地をかりて、ものづくりをしています。 もともと兵庫の中心だった兵庫津(ひょうごのつ)っていう造船の町でもあり、もともと鉄工所、木工所がたくさんあったエリアで マルナカ工作所という場所を作っていろんな人が関わる仕組みを作ろうとしています。 よろしくお願いします。
鶴巻:みなさんこんにちは。
僕は神戸市北区の淡河町に住んでいます鶴巻といいます。「つるまき農園」という屋号で活動しているので、農家さんなんですか?って言われるんですけど、畑は全仕事の中で1/5ほどで、名前の由来は地域を耕したい、コミュニティを耕したいという意味でつけました。
僕自身は東京都で生まれ育ちました。 大学は関西で、こっちが好きでこっちに住んでいます。 卒業後は「公文教育研究会」に総合職で入社し、宮城へ配属されました。 結婚を機に西宮に戻り、学生時代にボランティアで参加していたNPOで職員となりました。 大学生が子ども達に向けていろんな活動を提供するNPOで、僕は学生たちのマネージメントを。 自分の子どもが生まれたのをきっかけに、子どものことを支援する場所で働いているのに、自分の子どもといる時間が取れないことや、 いろんな問題を絆創膏でひとまず食い止めている状況にもどかしさや限界を感じるようになりました。 まずはもう少し暮らしや生活を改めていかないと解決しないのでは?と。
その頃から地域で暮らすことや、地域で仕事を作ることに興味を持ち、自分もやってみたいと思うようになりました。
2012年頃に妻の地元の淡河で、淡河の街を良くしていこう!というで20代~60代の人たちが集まった、 「淡河ワッショイ」という団体の仲間に入れてもらうことになりました。 このメンバーとだったら面白いまちづくりが出来そうだと思ったこともあり、淡河に移住しました。
パソコン仕事以外も出来るようになりたい。 自分の手でも野菜を作りたい。 家の近くで働いて、家族でいる時間を増やしたい。 自分で住んでいる場所を自分達で面白くしたいと思う人たちと一緒にやっていきたい。 移住するからには自分で出来ることを増やしていきたいと思って色々とするようになりました。
今は妻の実家を引き継いださつまいもの観光農園の運営と、農村移住コーディネーター、茅葺の職人さんのてったい(手伝い)をなどしています。
そもそもNPOの事務局だったり、サラリーマンだった人に地方での仕事はないのでは?とずっと思っていて、 僕みたいなサラリーマンだった人が暮らせれば、もっと移住者が増えるのでは?と考えたくさんの仕事をもらったり作ったりっていうのをブログで発信しています。
色んなことをしながら、仕事をしていくのもアリなのかなと思って実験しているところですが、それが出来るのも30分で三宮に行ける場所だからこそ。 思う存分活用しながら、地域を盛り上げて、色んな関係性を良くしていきたいなっと思っています。よろしくお願いします。
弓削:はい、こんにちは。
みなさん、牧場へ来ていただいてありがとうございます。
こんなにたくさんの方が農業であったり、新しい職業に関心をもって来てくれている。
神戸を愛する方々がこんなにもたくさんいるんだと、嬉しく思います。
今日の会場であり、うちの牧場は「こんなとこに牧場が!?」という住宅地の中にあるんですが、先住民です。
亡くなった父が戦争前からこれからの神戸を見据えて、家族が食っていくにはサラリーマンはあかん、農業やろう、ということになってはじめました。五反百姓は食えないけど、乳牛を飼えば食える。神戸は外国の方がいるので、牛乳は絶対売れるとの確信があり、昭和18年に父が有限会社をつくりました。
僕は1966年国際農業者交流協会を通して米国へ1年間行きました。 メキシカン、ポルトカル人、アメリカ人と一緒に農場で働いて、アメリカの農業は移民によって成り立っていることを知りました。 今でこそ知られるようになった6次産業がすでになされていたんです。 ウォーターメロンの農家だったんですが、そこの農家が自分のところで作った食材、ミルクを使った料理を提供するレストラン。 ハイウェイと飛行場もあって行列の出来るレストランでした。 そういう学びから、農業はいろんな可能性をいっぱい持ってる、面白い発信が出来る、そう思うようになりました。 僕は神戸が昔から和漢洋歳だとよく言います。和の心を大事にしながら、洋の才覚、技術、知識、歴史をうまく取り込むことによって、色んな展開を世界に発信出来る。 いろんなアイデアを持って面白いことが出来るのは、神戸しか無いんじゃないかと思います。 でも、神戸って何なん?世界の人は神戸がどんな街か誰も言ってくれません。 外国からしたら日本の農場は小規模で家庭菜園だって言われたり…でもだったら逆に狭いのを面白い形に展開できないか、それが大事じゃないかなと思って、農場の中で出来たものを小型のバイオマスユニットを使って全てを循環させています。 神戸市の取り組む木質バイオマス利用。僕もやっとベースキャンプのガスの使い方がみえてききました。 メタンガスを取り出した消化液でつくった野菜をみなさんに食べてもらっています。 昭和62年にチーズの食べ方を提案するレストランとして作りましたが、新しいチーズの食べ方をここから持って帰って広めていただきたいと思います。よろしくお願いします。
山田:ありがとうございました!
この後はトークセッションということで、まず僕から投げかけたいのですが、
山崎さん、鶴巻さん、弓削さんが井筒さんと共感する部分と、そうでないこと、お聞きしたいと思います。
山崎:そうですね、もともと人口が違うのはありますが、コミュニティを細分化する必要があるなと思いました。例えば木材でいうと兵庫県産材というより六甲山材、宍粟材とか、もっと地域を細分化したほうがブランド化しやすい。サイズ感の小さな経済圏で回す、兵庫南部でコミュニティを回すということを考えていて、そういうイメージでお話を聞いていました。
鶴巻:すごいなと思うのは雇用がうまれているところです。僕達の活動、「淡河ワッショイ」はいろんな職業の人があつまって、そこで出来ることをやっている、だから楽しいという感じなのですが、新しい雇用はまだ生み出せているとは中々言い難い状況です。仕事があるから移住したら?というところまでいかないのが現状ですね。あと、定住の面でいくと、定住のコーディネーターをしているので、流動するよりは住んでもらう前提で来て欲しいなという思いはあります。 そのあたりの話はもう少し聞きたいです。
山田:僕も思ったんですが、消防団、自治体組織とか、お金とは別の組織はどんな感じで機能していますか?
井筒:それはかなり機能していて、移住者はほぼ全員消防団に入っています。
山田:村と県との仕事のバランスはどうですか?
井筒:新しいチャレンジをしようとした時に、役場の職員さんは東京に相談に行くことが多いです。県庁まで二時間くらいかかっちゃうので、それだったら東京行っちゃいます。
山田:弓削さんはいかがですか?
弓削:亡くなった父から聞いていたような話と同じで、スピードが違うけど、同じような道を進んでいるように思います。 日本全体が村社会のようなもので、そこに溶けこむために乳牛の仕事しているというのが大きかった。だから村の人がサポートしてくれました。村の人の中に自分からどんどん積極的に入っていくのが大事なことだと思います。
井筒:そうですね、さっきの話だと、その点を無視しているように聞こえたかもしれませんが、実際はどんどん積極的に村の人の中に入っていっています。消防団の飲み会で同世代と仕事の話をしたり。
あと移住者の定住の話ですが、職員さんの感覚は1割残ったらいいと。実際はかなり残っています。行政は民間にして欲しいことはたくさんあって、でも一番困るのが、民間で始めたはいいけど、行政にやらされている感じになること、赤字が出たら補填してと言われるのが困る。だけど、うちの民間は残ってちゃんと事業として黒字を出してくれているからありがたいと行政の人は言っています。そういう意味で順番が違うんです。定住移住ファーストではなく事業を成功させるのがファースト、そうすれば結果として定住していると思います。
山田:ありがとうございます。次にですね、井筒さんからみて山崎さん、鶴巻さん、弓削への疑問点、質問等ありますか?
井筒:そうですね、まず山崎さん。実際に神戸市内でいわゆる林業をやっている感じの現場ってあるんですか?
山崎:僕は神戸市の表六甲の市有林の整路に携わっているんですが、道をつけるのは林道のためじゃなくて砂防になるので、防災課が担当なんです。発生材を活用するという観点でやっています。裏六甲は地域の林産組合の人達が山の守りをしています。そこでは間伐の丸太をうちが毎年買い続けている。それがうちの商品として利益になるように回していっています。実際は道をつけるお金がないので、それを神戸市さんとどう道をつけるか、相談しているところです。なので林業にはなってないですね。
井筒:僕は林業はチャンスだと思っているんですね。林業をやっている人がいない、桁が違う、敵がいない産業だと思うんです。神戸市内での林業のベンチャーは正直厳しいですか?
山崎:急峻なので林道をつけるのはなかなか厳しいとは思います。ただ、企業はたくさんあるので、使ってくれます。うちは今、山単位で買ってストックしてます。続けることが大事なので、毎年無理してでも一定の量の丸太を買ってます。
井筒:なるほど、無くはない…感じですね。 ちなみに西粟倉は村内の全ての山の資産価値の把握ができていて、そこが他と違うと思います。森の把握が大きな課題ですね。それは神戸市はどうですか?
山崎:無いですね。逆に把握しちゃうと怖いですね。(笑)価値ない!!ってなって…
井筒:価値ない無いことも把握してみたいですよね(笑)
弓削:でもね、日本全体から見ると、よその国と比べたら山と海との距離が短い。そうなると管理が難しい。特に神戸は平地はほんの少ししか無い。六甲の山の管理は難しくて、そういうのもひっくるめて考えて我々は農業をしないと。
井筒:そうですね、経済価値だけじゃないってことですね。鶴巻さん、一つ質問で、僕のぶち当たった課題があって、薪割りとか野菜作りとか、暮らしを大事にしたいっていう思いがあるんですけど、薪割りがだんだん義務になってきて、辛くなるというか、この時間で他の仕事ができると思って焦るんですけど、そういうのぶっちゃけないですか?
鶴巻:僕は茅葺きの現場で、農村で受け継がれている技を学んでいる感覚があるので。僕も生活の中で薪割りはしていません。 いろいろ仕事しているので、薪割りまですると単価が…稼ぎたい…もともと僕はそんなに自然に興味があったわけではなくて、地域のコミュニティが残っている場所が良いのか、面倒くさいのか、確認したくて移り住んでいる。結局コミュニティがあるのが良いなと感じているので、それをどう面白くするか、その方がやりたいです。
井筒:それも聞きたいんですけど、神戸市って近所のコミュニティが無くても生きていける社会じゃないですか、それなのに何故あえてコミュニティ?わかる反面、わかんないみたいな。
鶴巻:NPOで働いてた時に、NPOは仕組みやシステムを作っていろんな問題の解決を目指すのですが、仕組みとはまた違う人と人との繋がりがあれば、仕組みが無くてもなんとかそれぞれが助け合う関係性があるんじゃないか、それを試してみたかったっていうのはあります。
井筒:僕神戸に来て近所付き合いがないんです。そういう時にこうゆう話を聞くとやっぱり良いなあって。
山田:ありがとうございます。会場の方いかがでしょう?
会場1:これから色んな自治体が移住して欲しい人や起業して欲しい人を取り合うようになってくると思うんですけど、そうした中で何が人を惹きつける強い力になるのか、資源だとか、立地だとか、一番のポイントは何になるとお考えですか?
井筒:現に色んな企業がアプローチをしてきている段階にあります。それは実験しやすそうだからだと思います。結局やりやすさ、自分が成長出来そうか、ちゃんと発信できているかっていうことがあるんじゃないかな。頑張っているって言っているだけじゃ発信力がないんです。西粟倉の場合はローカルベンチャーって言っちゃったところがわかりやすいですね。
会場2:西区で農業やっています。一人当たりの農業の収入の低さを知ってしまって、その後話が入ってこなくなりました。(笑)今日はお話ありませんでしたが、井筒さんのされていた地域通貨についてお聞きできたら嬉しいです。
井筒:みなさんに説明すると、木材を仕入れる時に日本円と地域通貨でやっていました。地域通貨発行のコストもかかるし、結局使われない。ユーザーの不満もあって今は商品券になっています。結局は地域内のお店が魅力的になることが一番だなとおもいました。
会場3:西区で野菜農家をやっています。神戸市の中でも里山と都市の共存が大事だと思うんですけど、西粟倉の場合、都市部への発信、どういう所を対象にされているんでしょうか?
井筒:それは民間企業ごとに違っていて、僕たちの宿泊業は関西のお客さんが多いので、関西、物販に関しては東京への発信が多いです。大阪と東京ですね。
会場4:みなさんいろんな事業をされる中でいろんなリスクがありますよね、災害、水害に対しての備え、そういった観点で日頃から感じておられることがあればお聞かせいただきたいです。
山崎:どうしようもないこと、起こりうると思うんですけど、鶴巻さん、井筒さんみたいにマルチキャリア、いろんな仕事を持っておくのもリスクヘッジかもしれないですし、僕でいうと外材も売っているので、それもそうかもしれません。
鶴巻:僕もあまり言えないんですけど、どういう仕事が食いっぱぐれないのか、なかなか想像できない世の中になっているので、仕事を組み合わせるのも一つかなと。
弓削:井戸水さえ上げるエネルギーが確保できたら、水は完全に確保できるんじゃないかな、そうすると牛に水があげられて、生活用水はあの井戸で出来る。何かあったらここで水が供給出来る。食料の供給も亡くなった父は常にそういうことを考えながらやったらいいと言っていました。一坪農園でもいいから、菜園を作ることによって、食べるものを確保する。そういう実験をここで出来たらいいなと思ってやっています。
井筒:僕は弱い人間なんで、一つは保険。もう一つは信頼してもらうこと。人との関係性を大切に。お願いできる人を増やす。そんな感じです。
山田:ありがとうございます。最後に井筒さんがお金の話と信頼の話をしてくださったのはありがたかったです。行政、住民、移住者のフラットな関係作りの話、この食と里のネットワークもそういう観点がありまして、フラットな関係性作りもひとつのテーマなのかなと思っています。どういうのが良いネットワークなのか、考えていきたいと思います。
記事:對中剛大 写真:片岡杏子
井筒耕平さん
1975年生。愛知県出身。(株)sonraku代表取締役。博士(環境学)。岡山県西粟倉村で「あわくら温泉元湯」とバイオマス事業、香川県豊島で「mamma」を運営しながら、再エネ、地方創生、人材育成などの分野で企画やコンサルティングを行う。共著に「エネルギーの世界を変える。22人の仕事(学芸出版社)」「持続可能な生き方をデザインしよう(明石書店)」などがある。
弓削忠生さん
1945年神戸生まれ
1985年に西日本で個人の酪農家として初めてカマンベールチーズやフロマージュ・フレの製造販売を開始。また1987年にはチーズの食べ方の発信拠点として場内にチーズハウス「ヤルゴイ」をオープン。
2003年に兵庫県農業賞を受賞、2017年に兵庫県功労者賞受賞。
低温殺菌牛乳やチーズなどの乳製品だけでなく、堆肥を活用した野菜やハーブ、ブルーベリーや白イチジクの栽培、はちみつも採取。
牛糞やレストハウスからの食品残渣から生まれるバイオガスを活用するべく、ミニバイオガスユニットを導入し、2018年7月にはバイオガスユニットから取れる液肥の有機JAS資材認証取得と共に神戸大学との共同研究で実証実験中。2019年にひょうごバイオマスecoモデルに登録される。
山崎正夫さん
大学卒業後、出版社を経てドイツ木材メーカーの輸入代理店に勤務。2009年、間伐材を活用した打楽器「カホン」を手作りする「カホンプロジェクト」を創設し、日本全国の森との関わりを深め各地の地域材を活用したプロジェクトに携わる。現在、森から採れる木材の価値を再構築し、新たなデザインを提案するウッドデザインのプラットフォーム「シェアウッズ」を運営。六甲山材を活用したブランディング及び商品開発などを始め、国産材の販路拡大の為の支援や地域活動等、森林とまちをつなげる木材コーディネートを行う。2017年には、兵庫津で、60 年の歴史を持つ船大工の工房を継承し、新たなクリエイティブの拠点として運営中。
鶴巻耕介さん
1984年生。学生時代、子どもの野外活動プログラムに携わるNPO法人で活動。大学卒業後、教育関係の企業や、学生時代に活動したNPO法人で働く。次第に「地域に根ざして生きてみたい」と思うようになり、30歳を迎える時に、現在の神戸市北区淡河町へ移り住む。地域を耕したいという意を込めて「つるまき農園」という屋号で活動中。取り扱い作物は、サツマイモの観光農園、農村定住コーディネーター、茅葺き職人のてったい(手伝い)、地域に残る本陣の維持管理、大学生向けインターンシップのコーディネートなど少量多品種型。地域内外の様々な仕事に触れながら百の知恵と技を持つ現代版百姓を目指している。
山崎:みなさんこんにちはー
シェアウッズの山崎と申します。
神戸で建築、商業施設で使われる木質建材を販売している会社をしています。 六甲山の木材、資源をどう有効活用していくかといった取り組みを行政の支援を受けながら進めています。また、神戸市さんからの依頼で市役所のベンチを製作したり、東遊園地で行なわれているイベントで使用するテーブルを作らせてもらっています。