今回のお話は、ふたりの男性の話です。その共通項は「農業をはじめたけど、やめてしまった」というところ。
なぜやめたのか、どういう思いがそのとき胸中にあったのか。
農業者じゃなくなり、いまはなにをしているのか。農業をやめたからといって、生き方に失敗したというわけではありません。人生が終わったわけでもないです。
今回お伝えしたいのは、ふたつのこと。
「どうしてやめるに至ったか」それから「農業をやめた人からのアドバイス」。
これから農業を志す人、また検討しているひとへ向かっての、なにがしかの参考になればと思います。
それはふたりからの願いでもあります。
ただし、そんなにかたい話ではありません。ふ~ん、とまあ、なにげなく読んでいただければ幸いです。

農業って楽しいけど、甘くない!その1

これから紹介するAさんは、3年半ほど農業をして、やめました。
どんな理由で、どんな気持ちでそこに至ったのか。
伝えてくれるという行為ももしかしたらつらかったかもしれません。
ただ、これから農業をめざそうかなと考えている人たちへなにかのヒントになれば、という問いかけに了承してくれて、ご自身の体験を吐露してくれました。
Aさん 男性 年齢35 

ミニトマトが縁

農業を開始したのは24~5才の頃でしたかね、2011年の10月ごろだったような。
友達がきっかけだったのです。
知り合いに西区で農業している方がおられて、ミニトマト食べにおいでと言われたようで、それでぼくも友達に誘われてついて行ったのです。
それまではまったくといっていいほど農業には関心がなかったです。
農業系の学校には通っていたのですが、造園科でしたし。大学卒業後、いくつか仕事をしていましたがちょうどその時はどこにも働いてなかったのです。
いくつか面接受けて落ちてという日々の中、これからどうしようかなと考えていた頃、僕ががむしゃらにミニトマトを食べている姿を見て、そんな姿が印象的だったのか、農家さんからアルバイトに来る? と声かけられたのが始まりでした。

アルバイトから研修生、そして独立へ

しばらくはアルバイトでした。毎日が新鮮だったような気がします。
はじめて知ることも多かった。
月日が経って、制度を活用して研修生になりました。
そうなることにはとくになにも抵抗はなかったですね。作業自体も楽しかったです。
自分に合っているなぁと思っていました。
ぼく、植物をじっと眺めているのが好きなんです。まったく飽きないというか、見ているだけでこちらも満足になれる。
仕事はトマトなどの野菜の剪定、収穫に袋詰め、それから販売にも出ていました。その研修生制度は2年の区切りだったのですが、終了期限が近付いてきたころ、親方から先のことどうする? とたずねられました。
ちょっと検討してみましたが、そこでおもいきって独立の道を選びました。

夢と独立

いろんな機会に恵まれて、親方の近所の畑を借りられることができたのです。
露地で1.3反ぐらいでしたかね。もちろん不安もありました。
同じくらいに期待もありました。
「自分のつくった野菜で店を出したいな、ちょっとした料理で」という夢も描いていました。
ピーマンや落花生などを栽培していました。
自分の好きな野菜を作りたい、そんな思いはありました。
そのころは半農半Xというのでしょうか、農業しつつ他業種のアルバイトもしていました。朝から夕方まで農業して、そのあと夜はスーパーの品出しなどのバイトです。
両立するのはやっぱりたいへんですね。農業がいそがしくなってバタバタして、これじゃ体ももたないと辞めました。
ちょうどその頃ハウスを借りることが決まりました。

農業の日々、つのる不安とあせり

ハウスを借りることを決めたのは自分自身です。親方からは反対されました。
露地に加えてハウス50mの3棟はまだ早い、回しきれない、と。
でも考えは変わらなかった。自分で動いて決断したはじめてのことだったからです。
一番の理由は、急いていたから。
国の新規就農者にたいする支援金制度があって、最大5年間支援してくれるのですけど、もちろんしっかり計画書をつくって毎年半期に一度視察もある。
その制度をぼくも受けたのですけど、そこであせりが生じてしまった。
立てたプランにきちんと乗せなきゃ、野菜たくさんつくらなきゃ、と自分で自分を追い込んでしまいました。
当然のことなのですけど、支援を受けるからにはきちんとできているのか、またはできるのかという厳しいチェックも入る。
わかってはいるのですけど、自分でプレッシャーを作りこんでしまったとこもあったと思います。
楽しいなと感じていた農業が、それだけではないぞ、甘くはないぞ、と迫ってくる。そんな日々となってしまいました。

農業をやめる

種をまいて、苗を植えて、それらがお金になるのは数か月先。
台風や悪天候などの条件ですべてがうまく育つわけではない。
ハウスのビニール張り替えやパイプ補強、袋詰めに使う備品もお金がかかる。
売り上げも各地で豊作になれば値も影響を受けるし不作の時は自分たちの野菜も同じように育っていない。
先述した支援金の現地調査や再面接とかもしんどくて、どんどんつらくなってきた。
独立して3年目の途中くらいですかね。トラクターのローンを払い終えたところでした。夏作の時期が終わり秋野菜の準備をする時が来た。
もしそこでその流れに乗ってしまうとまた冬まで、数か月先まで悶々とした気持ちを抱えたまま暮らしていくことになる。
そこで踏ん切りをつけました。もう農業をやめよう、と。
もう頭を抱えこむのは終わりにしようと。緊張の糸が切れてしまいました。

やめてからわかったこと

やめると決めて、そしてやめた後は正直ほっとしました。
それからさびしさもありました。自分なりにがんばっていたな、とは思うのです。
露地でピーマン、落花生、ナスなど作って、ハウスではピーマン、トマトにゴーヤなんか。直売所や生協にも卸していました。東遊園地のEat Local Kobeも楽しかったです。
お客さんとのふれあいもよかった。曲がっている野菜なんかでも笑って受け入れてくれる人たちがいて。でも、やっぱりぼくは商売人には向いていないなとも思うのです。
シビアになりきれない自分に気づいたといいますか、自分の野菜に自信が持てなかったのです。
たとえばスイカ。出来るには出来たけど、はたして味の方はどうか。もしかしたら甘くないのではないか。そう思ってしまうから値を下げてしまう。ついついそうなってしまう。でもやっぱり好きだなと思いますね。未練もあります。

農業をやってきた中で

経済的には、きついものがありました。ずっとお金の問題がついて回っていたな、という感想です。
親にもやめると打ち明けた時に「辛さがわかっただろう」とひとこと言われました。
自営業を営んでいる親からすれば、はじめから苦戦するだろうと思っていた節はあります。良いことももちろんありましたよ。仲間ができたことです。でも性格的に頼みごととかもできないし、輪に入るのも苦手なので。困った時にもっと素直に言うことができればよかっただろうな。

これから

農業をやめて数年たちますが、いまはなにもしていません。釣りはしています。
仕事の面接を受けている日々です。仕事が見つかったら、お世話になった親方にも挨拶に行きたいです。
いまは、まだ無理ですね。先ほど未練はある、といいましたがどこかの農園で働くということはないでしょうね。
別の仕事してお金貯めて、年取ったら貸農園とかでもいいから再チャレンジしてみたい。農業の醍醐味は、自分で作ってそれを売ることだ、と思いますから。

これから農業をはじめる人、考えている人へのアドバイス

 「就農するからには、お金を貯めてしっかり準備をしよう」
 「一人で農業をするのは大変。協力してくれる人、家族、そういうものを見つけて」
 この2点です。しみじみぼくが感じたことです。


時に笑顔をまじえながら話すAさんの姿を見ていると、悔恨よりもこれでよかったのだ、という諦念の心境すら感じました。 …と記すときれいに書きすぎなのかもしれません。第三者にはわからない葛藤もあったと思います。
実際に未練、という言葉もご本人は使われています。
ただ、自身の性格を受け入れて、自分なりにつらい思いを味わった後に出てきた今の表情、語り口などを見るにつけ、そう思わざるをえませんでした。
農業の道も厳しく、優しいものではないこともわたしとて少しはわかっているつもりです。ましてや新規就農の者がたどる道の険しさなぞ。
Aさんの話の中で核となるのは「お金」だとひしひしと伝わってきました。「お金」は「計画」によって活きるもの。いかに稼ぐか、ということも大事ですが、どう準備するか、どう使うか、ということもまた重要なのですね。
何事にせよ、なにかをやるからには両足ふんばって、腹をくくって、懸命に道を進む。這ってでもかたわらの人に笑われても指を差されてもやる。
困ったら話せる誰かを見つけること。これも大切です。
そんなたくさんの事柄を教わった時間でした。農業をやめても死ぬわけではありません。道は星の数ほどあります。Aさんありがとうございました。
とにかく、働いてくださいね。

文・写真:丸山倫寛

農業って楽しいでも、甘くない!その2

Aさんに続きまして、増田幸市さんのお話をします。
現在の増田さんは『HATA+BE+』(はたび~、と読む)代表として神戸市西区押部谷町にて活動されています。
『HATA+BE+』とは、都市の人や地域の人が交流する拠点として2021年5月に始動した場であり、いろんな農村体験を通じて四季折々の自然を楽しんでほしいという、増田さんたちの思いがつまった学びと遊びの場でもあります。
他にも神戸市農村定住コーディネーターやバーベキューカーペンターなど様々な肩書と資格を持つ増田さん。どのような形で農業に携わり、どうして農業をやめて、そして今に至ったのか。
たくさんしゃべってくださいました。まさにあふれる思いがこぼれる感じ。みなさんも楽に座って好きな飲み物を口にしながら読んでみてください。
このインタビューもまさにそんな状況で行いました。
場所はもちろん『HATA+BE+』。焚き火で沸かしたコーヒーを飲みながらでした。

農業をする前

「二本立ての生活」
建築業、主にリフォーム関連の仕事をしていました。
独立して建築事務所を営んでいました。自然素材の材木を用いた古民家リフォームで、業界が不景気になってきたので合間にイベントの仕事もしていました。アウトドア全般を扱う会社のバイトです。
そのうち人からBBQ協会を立ち上げるからと声が掛かり、BBQの活動と建築との二本立ての生活をするようになりました。それが35才から40才になったところまでかな。
仕事に役立てようと西宮にてキャンプインストラクターをはじめてみたら、子どもたちに農業体験をさせてあげたくなったのです。森の中のもので堆肥づくりとか。そこで、子ども農業塾のようなものに参加しながら、自身も知識を深めようと神戸市北区で市民農園もやりだしました。これが、ぼくの農業体験のはじまりです。
市民農園しながら森林ボランティアやひょうご森のインストラクターなどいろんな資格を取得していったのですが、最初は一畝ほどの畑がだんだん大きく広がっていき、それにつれて農業をやりたい気持ちも膨らんでいったんです。そんなとき、家で強烈な体験をします。

「農業をする決意」

トイレに入ったら意識が消失してしまいました。それまでの蓄積していた疲労が一気に噴出してきた感じです。おおげさじゃなく、死を覚悟しました。もうろうとした心地の中、自分のことを考えました。ここで死ぬとして、自分がやっていないこと、やりたいことってなんだろう?と。「農業だ!」と強く思ったのです。そこから農業をするぞ、と決めました。
ベランダ農家が本格的な農家になるのです。やるからにはお金を稼ぐことのできる農家をめざすことにしました。で、どんな道があるのだろうと探していたら「パソナグループのチャレンジファーム」の募集があり、応募しました。
面談にて、これまでの自分の経験や持ち味を生かした『育てた野菜をその場でBBQにする体験プログラム』を提案し、研修することが決まりました。
そうして、パソナの研修の地、淡路島に行くことになります。40才のころでした。

農業生活

「研修の日々」 
淡路島での研修は、農業の基本を教えてくれて起業するまでの準備期間の場です。1年目はネギを栽培してカットして出荷することを学びました。
2年目は自分のやりたいことをしていい、と。そこでBBQを織りまぜていきました。
研修仲間を募って8反の畑を借り、2反ずつ4つの農場に区分します。
植えつけ・農作業・収穫・BBQで食べる、という流れです。これを2時間で完結するというやり方を考えました。
キャンプリーダーの経験を活かしました。集客は知り合いになった観光協会さんに協力してもらいました。そのうちだんだん200人から400人まで対応できるようになってきて、旅行会社さんとも組みいい形になってきました。
そこで、パソナで3年目を迎え、そろそろ独立の機運が気持ちの中で生じてきたんです。実績を残してきたし、手ごたえもありましたし。それで研修更新の際にこのまま残るより自分でやろう、と出ることにしました。
仲間たちも研修に残ったりそれぞれの道を歩んでいます。ですからあらためて一人での、一からのスタートでした。それが43才くらいですかね。
そこからちょっと、厳しい道のりを歩みます。

自立した農業、そして辞める

まず淡路の農業普及所に相談しに行きました。
そのころあった、年最大150万円受給される農業給付金(現在の農業次世代人材投資資金)の相談です。でも最終的にはそれは交付決定されませんでした。
パソナ時代のBBQイベントは農業の実績ではない、といわれました。いろいろと話しましたが通らず、建築の仕事をすすめられるくらいで、ついに断念しました。
それから北淡インター近くで家と畑を借りてパソナ時代と同じような農業・BBQ体験の場をつくりました。
でもスタッフもいなく、自分一人ですからお客さん一回来るとそれで精一杯。なかなか対応しきれない。多品種栽培の農業だし、苗代の費用もかさむし、ぜんぶ一人でやらなければならない。
観光協会さんも協力してくれてはいたのですが、なんせ人手のなさが終始つきまとって、売り上げも収益も仲間とやっていたころに比べると激減していきました。
よく考えてみると、研修2年目以降はBBQの体験料が生活の足しになっていました。
1年目は慣行農業で研修し、2年目は自分で有機農業をやってみました。すると収量が落ちて計算も立たなくなりました。
でもやっぱりぼくの農業はBBQ体験と同じで自然に寄り添うこと、有機農業的なものなのです。
神戸に野菜持って行って売ろうかなと考えたり、各種補助金の相談を受けたりしましたが、どうも条件が合致しない。
しかし、建築の声は掛かっていました。イベントの誘いもありました。
それでこう思い至りました。BBQ体験の場は、大きな組織にいたからこそできた。個人では対処しきれない事が多い。それに自分に要求されているのは農業ではなくて建築やイベントの方だ。だから、いったん、農業はやめようと。
生計の見通しの立たない農業はひとまず置いて、ニーズのあることから進めていこうと。農業者として自立して2年くらいたったころでした。パソナで3年半学び、農家としては2年。およそ5年半の、淡路での農業者生活でした。
それから神戸に戻ります。

ふたたび二本立て生活に

「拠点を手にする」
戻ってからは、建築の仕事とイベントの活動を両立させる日々でした。あるとき、イベントで西区の有機農業の方に出会います。
以前関心を寄せていた有機農家のとこで研修していたと聞いて親近感もわきました。
その方と、新規就農者の移住相談の窓口として仲間に加わり、同時にDIYで子どもたちに建築体験をさせているうち、捨てきれなかった農業への想いもまたぐっと込み上げてきたんです。
それであちこち調べて聞いて尋ねて、神戸市の農政部に相談しに行きました。それがきっかけとなって神戸農村定住コーディネーターとして農村部を案内していくうちに縁があり、今の場所を拠点とすることができたのです。
それが『神戸農村スタートアッププログラム』事業で知り合った人たちと立ち上げた『HATA+BE+』の誕生です。

「自分の持ち味に気づく」

いまは農業という形ではないと思います。
結局ぼくは、建築を通して自然に触れ合う「体験」を提供するというスタイルでいった方がいいと思いました。
みんなから求められていること、それに応えて喜んでいただくこと。これがぼくの売りなのだと。
そして拠点を持ったいま、実際の農村集落を知ってもらい理解するという、より深い体験イベントをもって都心の人と農村、ひいては農業を結び付けていくことができるし、それがぼくの役目ですね。
まあこれもひとつの農業といえるのかもしれませんね。

これから農業をはじめる人、考えている人へのアドバイス

いきなり農業の世界に飛び込むことには無理があります。まず現場に行って体感してからの方がいい。
農業をしに農村に入るだけではなく、自分の持っているスキルがあれば、それで入っていけると思う。
農村で活かせそうなスキルを自分の中に見つけてみるのもいいかも。
こういうことやりたい!と村に入っていくんじゃなく、こういうことやってほしいはずだ、という農村のニーズを探していくことも集落の中に溶け込む大事な要素だと思います。
それから、就農するということは独立自営の道に入るということ。
起業するとなると、しばらくは住宅ローンなど組みにくいと思います。
もし現在、会社に属しているなら、お金を借りるのはいまのうちです。借りやすいだろうから。
あと、柔軟な考えを持ってください。いろんな人の意見を聞くとヒントがたくさん出てきます。見えてくるものがあります。縁は大切ですよ。


増田幸市さんと話していて感じたのは、思いの強さ。
「あれしたい」「これしたいけどどうすればいい」という疑問があたまに出てきた瞬間、次に進むべき行動をとっているような気がします。
自分の持ち味(建築の技量とアウトドアの技術)を十分に活用している増田さん、それを通して出会うひとたちが笑顔になれるというのはまた、無上の喜びでもありますね。
そんな増田さんも奥さんに感謝の言葉を述べていたのが印象的です。
奥さんも働いてくれていたから、自分を応援してくれていたからこそやって来れたと。
淡路時代でも経済的に苦しいとき、奥さんの支えが本当にありがたかったとか。 
インタビューで訪問した『HATA+BE+』の現場も増田さんらしさが伝わってくる場所でありました。
焚き火のエリア、さとうきび畑、子午線に沿った円形の畑、他にもいっぱい、やさしさとおもしろさがあふれるところでした。これからの活躍も楽しみにしています。

文:丸山倫寛
写真:川本まい