神戸市上津橋土地改良区 理事長 澤田正行さん

寒い雨が降る、2023年2月10日。
訪れたのは、閑静な住宅街と工業地帯に挟まれた田園地帯。
神戸市西区にはよくある風景ですが、澤田正行さんの農地もそのような景色の中にあります。案内されたのは、ゆるやかな丘の上にある整備された畑。明石との市境に接している広大なその畑では、ニンジンやブロッコリーが育っていました。

「収穫たいへんやわ」と穏やかな笑顔が印象的な澤田さん。

ひととおり畑の説明を受け、地区の事務所に向かいます。中に入るとひとつひとつ綴じられた資料や様々なタイプの印刷機、細かく分類された書類が所狭しと並んでいます。この地域の土地改良区理事長を長年にわたって務めている澤田さんのきっちりとした、そして妥協を許さない性格が伝わってきました。


丸山さん:こんにちは、澤田さん。倉庫ではいろんな機械がありました。トラクターの数もたくさん。事務所の中も機械類が多いですね。パソコンなども自分で組み立てていると聞きました。

澤田さん:小さい頃から機械いじりが好きでね、高専で電気を専攻した後もそういう関係のところで少しだけ働いていました。トラクターなどの農機具も定価で買ったら高すぎるでしょ。だから、中古品やネットオークションなんかで落札したものを自分で分解してアレンジしていますよ。

丸山さん:ご自身で農機具をアレンジするなんてすごいですね!ちなみになのですが、そんな機械類にお強い澤田さんが今注目している農機具はありますか。

澤田さん:そうですね、水平機能(※)のついたニンジン収穫機(トラクター後部に取り付けるアタッチメント)なんていいですね。収穫作業がはかどる。それから、収穫したニンジンを洗う機械。小型のものはあるけれど、量をさばくなら大きいのがいいね。

(※)傾斜している場所でも掘る部分は自動的に水平を保ち収穫をアシストする機能。

丸山さん:栽培しているものや耕作面積など教えてください。

澤田さん:昔は晩成菜(しろ菜)などを明石の市場に出荷していましたが、今は、個人としては小松菜・菊菜・水菜などの葉物野菜をJAや直売所に、集落営農では学校給食用にニンジン・玉ねぎ・じゃがいもなどを出していますね。野菜はビニールハウス含めて6haくらい、お米は3haぐらいかな。

丸山さん:お一人で農業を営んでいるのですか?

澤田さん:パートさんが4名ほどいて、妻も種まきなどを担ってくれています。今はもう研修生は受け入れていませんね。集落営農の方は、ぼく一人でやっています。夏場の草刈りが大変なので、お手伝いに来てくださる方が一人いますが、管理するために除草剤は使っています。ネオニコチノイド系(※1)の農薬は使いませんね。あとは、牛ふん堆肥は最近は使わずに、一発で効く化成肥料を主に用いています。

(※1)ネオニコチノイド系・・・水溶性殺虫剤。近年、世界各国で慢性毒性が指摘され使用が禁止されたり制限されている。

丸山さん:農作業で忙しい上にさらに『田んぼの学校』(※2)の「校長」も務めていらっしゃるとお伺いしました。

澤田さん:この地域が圃場整備されてきた頃からのつきあいがあって。環境水路のアドバイザーといえばおこがましいけれど、平成19年頃からさせてもらっています。この『田んぼの学校』もそうだし、自分の農業もそうだけど、「私利私欲」だけでは到底できませんね。みんなに期待されていると思えばこそ、割に合わないと感じることでも取り組める。ニンジンなんて発芽からどれだけ手間がかかっても、小学校で使ってくれると思うから、それが原動力になるんだよね。

(※2)澤田さんの地域周辺で行なわれるお米を通したイベント。

丸山さん:どのようなきっかけで農業を始められたのですか。

澤田さん:実家が農家だったんだけどね、父親が早くに亡くなって。長男だから二十歳くらいの頃にはすぐに継ぎました。だから、農家歴で言うと50年くらいになるかな。

丸山さん:農業をはじめた時、どのようにして栽培方法などを身につけていったのですか。

澤田さん:そりゃ、右も左もわからなかったから、とにかく周囲の農家さんの見よう見まねでやっていくしかなかったです。近所にいた農家の大先輩がいわゆる『篤農家』だったんだけどね、その方にたくさんのことを教わりました。「人の足型が肥料になるぞ(畑によく入れ)」「植物を観察しろ、植物の欲していることがわかるようになる」など印象に残ってます。そのうち、「果菜類は肥料で味が変わる」とか「冬場に出荷したいためにはいつ・なにをどうすべきか」などわかるようになってきました。

丸山さん:お話を伺っていると、自分で創意工夫していくことの大切さが伝わります。考えること、実行すること。それが澤田さんの農業の極意なのかなと感じます。

澤田さん:なににしても、「これ嫌い、あれ嫌だ」といってばかりだったらつまらないでしょう。そんな人生はおもしろくないよね。ぼくはもうすぐ70歳になるけど、まだまだ新しいことにチャレンジしてみたい。結果はどうであれ、試してみることに意味があって、それがおもしろいと思うんです。生まれ変わっても農家になるかどうかは・・・わからないけど・・・まあ自分自身がなにをしても楽しめる性格だからね。後ろ向きでいたらもったいないと思います。

丸山さん:農家をめざす方になにかアドバイスがあればお願いします。

澤田さん:しんどいこともたくさんあると思うけど、その中でも関心を持って掘り下げていくことで楽しさが出てくると思います。それを見つけてがんばってほしい。それから、ひとりぼっちにならないように。地域の行事などに参加して、そこの人たちと親しくなれば助けてもらえるようなこともあるからね。とにかく最初はつらいこともがまんすることもいっぱいあるかもしれないけど、懸命にやっていれば道は開けていくと思います。

お話を伺っている間、ずっと澤田さんの元気さが伝わってきました。返ってくる答えはすばやく明快。常日頃からいろんなことを考えているのだなと感じます。答えに窮したというのか、返答に詰まったのは2点ほど。印象に残ったのでここに記します(笑って許してくれると思うので)。

ひとつは、好きな野菜の食べ方を聞いているとき。
「う~ん」とうなること数度。奥さまの料理で好きなものはなんですか?と角度を変えても、「う~ん」とうなったきり。照れがあったのではと推察します。

もうひとつは、「農家になってよかったか」という問いのとき。
視線が遠くをたどり、「わるくはなかったかなぁ。岐路はあったかもしれないけど、ね。うん、わるくはなかったか。別の道もあったかもしれなかったけど。」と澤田さん。「まあ、なにをしてもエンジョイできるからね。」と。
この『エンジョイできる』という姿勢が澤田さんの持ち味であり、真骨頂だと思うのです。どうせやるなら楽しむぞ、つらいと思うより面白いと思う方がはるかにいいぞ、という心意気。部品をかき集めて修繕して作り上げていく技術者魂とあいまって、『作り手・澤田正行』の骨格になっているのではないでしょうか。
「限界までチャレンジしてみたいんだよね」ともさらりと言っていました。農家として、また『田んぼの学校』の校長の顔を持ち、さらに土地改良区の理事長も務める澤田さん。忙しければ忙しいほど気力がわきあがる、その源泉に触れた気がしたひとときでした。