2025年3月8日(土)、種はおよぐを振り返るトークイベントと題して、ラジオの公開収録を行いました。会場は、神戸市北区淡河町にあるヌフ松森医院。2020年に種はおよぐで取材をさせてもらった時には、また取得したばかりで建物もかなり傷んでいる状態でしたが、とても素敵にリノベーションされ、思い出深い場所に関係者が集いました。

トークセッション①「たねをうえる」

冒頭は、今回の会場となったヌフ松森医院のオーナーである上垣内さんからご挨拶いただきました。改装も大部分が終わり、順次活用に向けて動いていきたいとのことでした。

(上垣内さんからのご挨拶)

今回は3部制です。まずは「たねをうえる」と題して、種はおよぐがどう始まっていったのかをお伝えしました。メンバーは、イラストレーターの山内さんがパーソナリティーとなり、当時の担当だった神戸市職員の山田さん、有機農家の大皿さん、そしてウェブデザイナーの多々良さんです。

(緊張した面持ち。)

10年前、神戸の農に関する状況はどうだったのでしょうか。山田さんからは、神戸市は農業生産額が関西で3番目に入るほど大きくて盛んなのに、市民があまり知らないという状況があったというところから話がスタート。そうした中、神戸の街にいながら、神戸の農業や農家を知ることができるファーマーズマーケットの取り組みなどが10年前に始まりました。それから数年経ち、山田さんが農村を担当する部署に移動したときに、それまでやってきた都市部で神戸の農業を認知してもらう取り組みと農村の取り組みがあまりつながっていないのではという仮説を抱き、いくつかの事業を構想しました。1つが農村で仕事を創ることを考える創業プログラム(現在の神戸農村スタートアッププログラム)、そしてもう1つが、この種はおよぐの前身となった「食と里のネットワーク」と呼ばれる、市の職員も学べるような場をつくることでした。

一方生産者である有機農家の大皿さんは、農家の家系で、40代でUターン就農。当時は農業をやることに関して情報や支援が少ないなという課題感を持っていました。後に続く若者たちに、どうやって新規就農をスムーズにスタートを切ってもらうかという切り口で、農業への関係人口を広げていきたいと思われていたそうです。

続いて大阪でウェブデザイナーのお仕事をしている多々良さん。多々良さんは、山内さんに声をかけられて種はおよぐに参加しました。当初は、神戸で農業が盛んという情報も全く知らなくて、関わるけれども何も知らなくて恥ずかしいという状態だったそう。

こうして、当初は市の職員さんが学ぶ場だったはずのネットワークは、徐々にクリエイターと農家、そして市の職員さんが構成するネットワークと形を変えていき、「種はおよぐ」という名前で活動を始めることになりました。目的は、食と里をつなぐこと。種という言葉は、野菜を彷彿とさせる意味もあれば、人が育つきっかけといった意味もあります。泳ぐという言葉を、どんどん広がっていく、つながっていくという意味と捉えて、ネットワークを連想させるものにしました。山内さんからは、種は元々動かないけれど、泳いでもいいんじゃないかという意味も込めたという言葉もありました。

こうして始まった種はおよぐ。まずは、近隣地域で先進的な活動をされている方をゲストにお招きし、神戸でできることはないかを考えていくところから活動がスタートしました。そこからウェブサイトを作成し、一次産業や農村に関わる種を見つけ、取材をしてみようということで活動が歩み始めました。

ウェブサイトを管理してきた多々良さんからは、何も知らない状態から徐々に知れる状態になっていくことにより、考え方も変わってきたそうです。ご飯はパパッと食べるものというところから、食に興味を持つようになり、買い物をする時にもふと有機野菜のコーナーに気付き、目がいくようになったり、農や食の問題に関するニュースにも関心が湧くようになったりしたそうです。

そうやって少しずつ、様々なジャンルの人が集まることにより、神戸の食と里をつなぐ活動は始まっていきました。

トークセッション②「たねがめぶく」

第2部は、「たねがめぶく」として、今の状態やつながりについて話しました。メンバーは、神戸市職員の牧野さんをパーソナリティーに、料理人の對中さんと森本さん、そしてカメラマンの岩本さんが登場です。

岩本さんは、これまで神戸の漁師さんの船に乗って数多くの撮影をしてきています。漁業のことを知ってもらい、そして魚を食べてもらうために写真やパンフレットを作成するなど、デザインの面で一次産業と関わり、種はおよぐでもたくさんの漁師さんに取材ができるきっかけとなりました。

お2人目は、京都の南山城村で「山のテーブル」というレストランを営み、建築やランドスケープなどにも関わる對中さん。對中さんのアイデアで形になったのが、2022年に行われた「つながるレストラン」です。食の生産拠点と農家や漁師をつなげながら、そこに食べてもらう人、そして料理人が関わる環境をつくることで、様々な体験や学び、そして味わう体験をしていただくというコンセプトのレストランでした。

對中さんからは、ランドスケープという1つの考え方として、その風景は、その人の営みから生まれる風景がほとんどで、その営みは単なる日々の暮らしなんですという投げかけがありました。暮らしや、その暮らしの周りにあるものは、生産者である農家さんや漁師さん、そこで働く人たちによる関係性によって風景となっています。例えばつながるレストランのように、食材が生まれる場所で料理をし、食べる、そしてその生産に関わった人の話を聞きながら食べるということは、その暮らしの風景が次の一歩を進む上でも、すごく重要なきっかけになっているのではないかとのことでした。

3人目は、垂水区の塩屋で「種土/TANE to」という食と暮らしの直売所を運営されている、料理人の森本さんです。森本さんは、子育てをする中で食に対しての意識が強く芽生え、食へのアクセスがもっとオープンな場所がほしいと常々思っていたそうです。つながるレストランは、森本さんの中に大事にしている風景が背景にあって、つくり手がいて、そして届ける方が目の前にいるという循環している景色が見られて、森本さんにとっても大きな経験だったそうです。

對中さん、森本さんは海外にも積極的に行っていて、現地の方々と食を通じた交流をしています。對中さんは、フランスやドイツへ行ったとき、あるレストランに出会います。そこは、ローカルのワインと食材でコースを提供するスタイルで、月の4日程度しかオープンしてないそうです。面白いのは、主のメンバーは2人か3人で、その他のスタッフは警察官だったり、高校の先生がメンバーに加わって運営されているそうです。そういった運営体制にも関わらず、圧倒的な評価を受けているレストランとして名を馳せています。いろんな人たちで支えられていることに価値があるという評価が素敵ですね。

中盤からは、つながっていくための様々な観点で話を進めました。生産者と消費者をつなげていこうとしているけれど、消費者だけでなく、料理人や店舗として使ってもらう人をどう増やすかがすごく大事なのではないか。そして街にはクリエイターがいるので、デザインや情報発信、PRのところで、つなぐ機能をもっと発揮できればといった話も膨らみました。

最後は森本さんから、お店という形態に捉われなくても、つくり手のモノをもっと自由に使える場所が小さい規模でもたくさん増えたらうれしいという言葉がありました。海外はそれが自然にできていて、それは気持ちがいいからという共通認識を感じるそう。日本はいろんな条件があって中々思うようにはできないけれど、みんなで少しずつできたらいいですねと締めくくってもらいました。

トークセッション③「たねはおよぐ」

第3部は、「種はおよぐ」として、未来のことを話しました。メンバーは、有機農家の大皿さんをパーソナリティーに、イラストレーターの山内さん、兼業農家の鶴巻さん、そして公開収録を聞いていて飛び入り参加の池尻さんです。

鶴巻さんは、2014年に北区淡河町に移り住みました。専業農家や職人、クリエイターなどの専門職ではなく、一般的なサラリーマンでも移住して生活できる道筋として、様々な仕事を得たりつくったりする複業スタイルを目指してきました。そうした中、第1部で触れられた神戸農村スタートアッププログラムや種はおよぐなど、農村への入り口を整備する仕事に関わるようになっていきました。大皿さんからは、ひたむきに農業だけをするのではない生き方を一番最初に感じたのは鶴巻さんで、未来に向けて農村で暮らす色んな形があってもいいのではないかと当時は思ったとのことでした。

そして続いては、15分前までリスナーとして参加していたのに、急遽ブースに呼ばれた池尻さんです。池尻さんは、2023年に大阪から北区淡河町に移住しました。現在は、農業をしながら神戸市の地域コーディネーターという仕事を週3日ほど担い、購入した自宅を改装しながらカレー屋さんやキャンプ場の準備を進めています。

池尻さんは、大阪で就農や移住の準備をする中で、関西圏のどこに移住しようか検討していたそうです。そこで目に留まったのが、神戸農村スタートアッププログラム。2022年に参加し、そのまま家も見つけ、移住をしました。当時から種はおよぐの存在も知ってくれていて(!)、移住や新規就農のバックアップ、そして野菜の売り先として都市圏の消費者さんとつながるきっかけも多そうという印象もあったそうです。神戸でみんなで蒔いていた種を、まさに池尻さんが拾ってくれたのかもしれません。

一方鶴巻さんからは、1つ1つの移住や創業を大事にしてきているけれど、人口は移住で入ってくる数を遥かに上回るペースで減っていき、こういうやり方で未来はあるのだろうか。本当は大企業や、大きい仕組みをつくって生産拠点を守っていく方が大事なのではないかと悩むという問いかけがありました。

大皿さんは、もう日本という国としての成長は難しいけれど、成熟はできるだろうという話を引用しました。環境が大きく変化していくことに対して、自分たちが少しアクションしたところで、それは止まらない。ただ、その中で自分たちの気持ちであり、考え方を変えていくことで乗り切っていくことはできるはずと。
山内さんからも、どこに視点を置くかということが大事なのではという意見が。資本主義による大量生産、大量消費で人口も経済もどんどん増えていくことが正解のように未だになっているけれど、人が減っていくこともマインドや視点を変えればポジティブにも考えられる。働き方についても、終身雇用でずっと同じ会社で働いて、退職金が出てじゃなくて、いろんな仕事をしながら生活を営むこともありだっていう、そういう風に考え方を変えていったら、またそこに新しい発見や面白いこと、希望が生まれるのではないかとのことでした。

對中さんがヨーロッパで体感した多業種の人によって運営されるレストランのように、職種を横断していくことも大事なのかもしれません。どうしても日本は専門職でいることが尊ばれ、起業なども十分に準備が整ってからじゃないとだめという風潮があります。そして高度に専門職化され分業していくと、相手への想像が欠如するため失敗を許さない世界になっているのかもしれません。もっと生産者と消費者、そして料理のつくり手自体が曖昧になり、寛容的になっていく必要もありそうです。

池尻さんからは、農村は街に比べれば何もないって見えがちですが、遊び代がすごくある場所だと感じていて、いろんな働き方とか生き方にチャレンジできるのではないかというメッセージが。神戸では、そうした働き方や生き方を1つの選択肢として選べるように、ネクストファーマー制度という兼業農家を目指すための制度なども創設されました。

1つ1つのことは小さい動きかもしれませんが、5年、6年という時間の流れを追えば確実に変化してきていることもあり、種は少しずつ泳いでいき、またその種を誰かが拾い上げてくれるのかもしれません。

各回の放送はそれぞれのリンクからお聞きいただけます。ぜひ耳を傾けてくださるとうれしいです。ご協力いただいたみなさま本当にありがとうございました。

つながるレストラン、未来編でいただいたお食事。